膵炎、断酒 。そして再飲酒む

急性膵炎。

原因はいくつかあるらしいが僕の場合はただの酒の飲み過ぎ。

アルコール性急性膵炎というものだ。

20代半ばから滅茶苦茶な量を飲んできた。

命を削るかのように、アルコール度数の高い酒をショットで何杯も一気飲みし、早くに泥酔する。
とにかくラリってしまいたかった。

酒がうまいなんて思ったことは一度もない。
ただもう義務感のように飲みまくった。飲みたくなくてもだ。
もし日本でドラッグが合法ならば僕はそっちを選んだかもしれない。

飲む事で、常識という枠組みをぶっ壊して自分の生を切り売りする代わりに、見たことがないような自由が得られるのではないかと信じていた。

その代償は大きいほど得られるものも大きいのだと。
だから、僕は飲み続けた。

胃液を吐き散らしたってアルコールを流し込み続けた。
嘔吐すると胃液は黄色くてトロっとしていて酸の匂いがした。

吐くと、食道が焼けるようだった。
それを繰り返すと食道癌か胃がんになるのではないかという恐れが脳裏を掠めた。

頽廃的なものに憧れた。
絵画ならユトリロやゴッホやシーレ。
文学ならカミュ、サルトル。ケルアックのビートニク。

太宰治。
またはニーチェやニジンスキーなど。

全く意味を理解していなのに。ポーズだけだ。

酔っぱらってイカレた意識の中、こんな下劣で汚らしい僕を愛しほしいという歪んだ欲求を女性に求めていた。

モディリアニのように。

大久保の韓国料理の屋台で、友人である留学性のユウと韓国人の彼女、僕には20歳の女友達。
その日もめちゃくちゃに飲んでどこまでもイッてやろうと決め込んで、マッコリとチャミスルを交互にのみ、杯をどんど重ねた。

合間にキムチ、トッポギをアルコールで流しこむ。

日本人と韓国人のペニスはどちらがデカいか、なんで韓国人は貧乳を好むかなど、馬鹿で下品な話で盛り上がっていた。

隣のカップルの女の子がトイレに行った隙に跡を追い、二人になったところでキスをした。

結局、黒人の彼にバレて必死で逃げた。

そんな毎日を送っていた。

そして入院

言い表せないほどの痛み。

ある朝、僕は病院に運ばれた。

病気にならないほうがどうかしている。

アルコール性急性膵炎だった。

痛さで何もわからない状態で即入院となった。
その痛さは僕の持っている語彙では言い表せない。
看護婦が言うにはお産に匹敵する痛みだそうだ。
今となってはジョークでそれを言う。
「出産の痛みはわかるよ」って。

意識が朦朧としていたせいか、まだアルコールが残っていたせいか分からないが病院に運ばれてから検査して、入院するまでの間は断片的な記憶しかない。
MRIやCTにかけられ、尿検査やら血液検査を受けたらしい。

入院してからの最初の記憶は内臓の痛みだ。
膵液が自己消化する痛み。

自分で自分を溶かしていく内臓の痛み。
人生で初めて殺してほしい、この痛みが続くならここで殺してほしいと、心から思った。

あまりにも痛みがひどいので、4時間に一本打つモルヒネ系の麻酔注射を1時間に一本打つ。
万が一の場合は自己責任である。

ショック死の可能性があるという事への同意署にサインをさせられた。
もちろんその時は意識が混濁していて何にサインしたのかわかってなかったが。

説明があったろうがそんなものは聞ける状態ではないのだ。

まぁ、そんくらいひどい状態だったってことだ。

入院中はアミラーゼの数値が落ち着くまで絶食絶飲。

なんでも膵臓の状態はこのアミラーゼの数値でわかるそうだ。
絶食は5日間。絶飲は3日間。

痛みが治まった後は喉の渇きとの闘い。
不思議と絶飲の間は食欲はない。

ただもう水を飲みたいだけだ。

口を潤すだけの差し水は洗面器に吐き戻さねばない。
何度飲み込もうとしたことか。

その誘惑を断ち切るには凄まじい意思を必要とした。

4日目に少しづつ水分を取れるようになると今度は猛烈な空腹感が襲ってくる。
それは、しかし渇きに比べれば大したことはない。
やはり水分のほうが人間にとって重要なのだろう。
隠れてキャンディを舐めることで空腹感はごまかせた。

幻覚が現れた

入院中、僕に異変が起こった。

自分ではそれがおかしいと認識すら出来ていなかった。
幻覚と幻聴だ。

モルヒネ系の痛み止めと注射を打ち過ぎたせいだ。

不思議と見たり聞いたこと、感じたこと、考えたことなど、

その間の記憶は鮮明に覚えている。

始めに幻聴が始まった。
繰り返すがその時はそれがおかしいとは全く考えなかった。

トイレの便座に座り、用を足す。

脇についているウォッシュレットの流すのボタンを押すと音楽が流れる。
最初は、用を足す音を消すための、単調なメロディだったのが、だんだんとビーチボーイズのペットサウンドに変わる。
なんて気の利いたトイレなんだと思った。ペットサウンドは1960年代で最も秀逸なアルバムの一枚だと考えていたからだ。

次に、二人部屋の隣人のラジオが一晩中トッド・ラングレンを流し続けていた。
僕はこんなにも殺風景な部屋で好きな音楽を流しくれている隣人が旧知の戦友のように感じ、
「いい音楽ですね。僕も大好きなんですよ。気が合いますね」と話しかけた。
しかし、相手はチラリともこちらを見ずに寝たふりを続けていた。
おそらくラジオからは音楽なんか流れたなかったかもしれないし、ラジオなんかそもそもなかったのかもしれない。

これらの幻聴が始まったのが入院3日目の昼からで幻覚が見え始めたのは4日目の朝。
朝、目が覚めると体がフワフワしていて、戸惑っているとベッドが90度で直立しているではないか。
ベッドに横たわっている僕はベッドから落ちないようにわきのパイプにつかまる。
そうこうしているうちにベッドはもとに戻る。
しかし、目をつぶり目を開けるとまただ。
僕はまたベッドごと直立している。ちょうど遊園地のアトラクションで椅子が反回転して下向きになって中吊にされているようだ。落ちそうな身体を固定した頑強なベルトが支えている。

今思い返すと、

トランスポッティングのワンシーンの感覚と重なる。

ヘロインでラリってる主人公がうえを見ると赤ちゃんが天井を逆さでハイハイしてるシーンだ。

4日目だか5日目は最悪だった。

何本ものチューブが突き刺さった手首には固定するために、何重にも白いテーピングが巻かれていた。

そこから声が聞こえてきた。

小さい声がいくつも重なりピーチクパーチクやっている。

僕はそこに沢山の、指より小さい小人が何人も隠れていると思った。そのテーピングの中に。

そいつらを見つけなければならないという強迫観念。

何故かは分からないが、彼らを見つけないと大変なことになると思い込んでいた。

だから僕はテーピングをぐるぐるとほどいた。

もちろん彼らはいない。

代わりに剥き出しの注射針が何本も手首に刺さっているだけだ。

僕はその注射針を抜けば針跡から小人が出てくると思った。

注射針を抜く。

小人はそこからは出てこない。

僕は焦った。

このままじゃ世界も僕もどえらい事になると。

きっと知らないうちにどこかに逃げ出した、と考えた僕は、他の病室や他人のベッドの下、患者の掛け布団の中を探した。

看護士から見たら精神を破綻したやばい患者にしか見えないだろう。

彼らは僕を寄ってたかって、拘束ベルトでベッドに括り付けようとした。

よくテレビで精神病患者を拘束しようとすると患者が暴れるシーンがあるけど、まさにそれと同じ。

僕はその気持ちを理解できた。

あれは捕まったら二度と自由になれない、一生拘束されて閉じ込められると思うからこそあんなに必死で暴れるのだと。

何故なら彼らはその時自分が正しいと信じているから。

だから暴れる。

捕まらない為、自由を奪われないため。

僕は点滴を吊るすスタンドを手に取り、看護士達を威嚇し、距離をとり病院から逃げ出した。

途中、寝ていて鈍った足が絡まり何度も転びそうになった。

まだモルヒネが効いている為だろう、木や壁、ポストや電柱が人や動物に見えた。キリンやキツネ、ナマケモノのようだった。

みんな仮装していているのだと思い、あぁ、今日はハロウィンなんだと納得した。

看護士に追いつかれて病院に連れ戻されないように、電車で遠回りして家に帰った。

幻覚や幻聴はあるけどそういった意識は何故かしっかりしている。

だから、自分がまともだと思うのだ。

家についてドアをしめる。

追っ手が入ってこられないように、いつもはかけないドアチェーンもする。

とにかく寝なければと考えベッドに入る。

夜の闇が僕を襲う。

とにかく不安で落ち着かない。

誤って人を傷つけてしまうときっとこんなような、いたたまれない気持ちになるのだろう。

遠くからパトカーのサイレンが重く鳴り響く。

次第に近づいてきて家の前に止まったよう。

サイレンの音はますます大きくなり僕は慄く。

きっと連れ戻されるのだ。

しかし、いつまで経っても誰も訪れて来ない。

フッとある考えが頭をよぎった。

何一つとして、リアルに僕に触ったり話しかけたりしていないと。

今までの一切を僕は実際には目にもしていない。

小人はいなかったし、街の動物達とは触れてもいない。

そう、見たり聞いたりしただけで、触れて実存を確認できてきない。

そこで始めてこれは幻覚だと気がついた。

こんなのは最初からなかったのだと。

薬が切れたから気づいたのか、気づいたから薬が切れたのか分からないが。

とにかく薬が切れたのだ。

強制退院、経過

その後、通院しながら治療を続けていく事になった。

二週間ほどでアミラーゼ値は正常となった。

それから三年間、お酒は一滴も飲まずに過ごした。

どんなに頑張っても落ちなかった体重が5キロも落ち、体脂肪は10%を切った。

再飲酒

しかし最近、池波正太郎さんの著書を何冊か読むうちに、酒のない人生がなんと寂しいものかと考えるようになった。

アルコール性急性膵炎の患者が再飲酒した場合、四年以内再発率は80%に及ぶという。

僕は再び、飲酒を始めた。

まさに太宰的に、命を削って飲んでいる。

しかし、いざとなると人間命が惜しいものだ。

ガンガン飲んでいた蒸留酒はやめて、せいぜいが日本酒までで抑えている。

今のところ、膵炎の予兆はない。

膵臓は一度破壊されると胃や肝臓と違い再生されない為、残った機能でちびちびと生きながらえるしかない。

もう膵炎はごめんだが酒のない人生もごめんだ。

この後どうなることやら。

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