バックパッカー、放浪の記録 インド編➀

初めてのインド。

イメージだけが大きくて実態が全く想像できない国。

孫悟空が三蔵法師と目指した天竺。

シッダールタが悟りを開いた場所。

貧しく、死が隣合わせにある国。

実際、日本人でインドに行ったことがある方はどのくらいいるのだろう?

彼らはインドで一体何を得たいのか?

インドに魅了される人はどのようなタイプの人間か?


僕がインドを始めて旅したのは1990年代。

ありとあらゆる人種が世界各地から旅して来ていた。

ヒッピーがゴアで独自のカルチャーを盛り上げてからは随分と時は経っていた。

僕らは自分の中の足りない何か、もう一つのピースを探しているようだった。

いろんな奴がいた。

とてもカテゴライズできるような奴らばかりではなかった。

しかし、日本人でインドを旅する奴らには大まかに2種類のタイプがいたように思う。


インド放浪者大別2選

  1. 現実逃避型:資本主義と言う競争社会から脱落、または逃避しインドというカオスに逃げこんでいく。旅から何かを得ようという者は少なく、どれだけ働かず長い間インドで暮らすかが一番重要である。どこの何が安いなど日本のスーパーの安売り広告に目を光らす主婦さながらに、食事、宿の値段の研究に余念がない。暇つぶしにマリファナ吸い、うつろな目をさせながらシタールなどポロンポロンさせている。
    ほぼ一日中宿にいて気力も希望も失い日本人同士でカードゲームや何の薬にもならない話をしている。
  2. 真理追求型:ビートルズ、ブッダなど、芸術や宗教に惹かれる自己探求道を突っ走るタイプ。座禅や悟り、ガンジス川や火葬場など生死に関することに興味がある。上級者ともなるとアシュラムなどに入居してしまう。

大雑把に言うと日本から逃避して「おら、働きたくないだ。もうあんな国帰らないだ」という者と
「俺はどこから来てどこへ行くんだー、お釈迦さま教えてくれ!」という者がいる。

ぼくはどちらかというと今で言う自分探し要素が大きい、後者のタイプであった。

旅事情

インターネットがない

インターネットがないという事は今では想像もできないがそれが旅人に何を意味するのか。
(当時はインターネットどころかPCも一般には普及していなかった。ホテルの予約、鉄道の予約などはFAXを用いてコンビニで高い通信料をはらったものだ)。

今と当時で一番の違い。

正確な、旅に必要な情報が得られない事。

だから旅人同士の間ではいろんな情報が行き交う。
「あの国にはどこそこの国境からでしか入国できない。いや、わいろを10ドル渡せば大丈夫だ」、
「あの港からどこそこ行きの船が出ている。飛行機代の10分の1だ」、
「あそこの宿は警察とグルだ。マリファナを吸ったらそのまま連行される。賄賂を1800バーツ払えば大丈夫らしい」などそれはもう、嘘なのか本当なのかわからない。

大まかに旅に必要な情報を入手するには2つの方法がある。

ガイドブックと人

①ガイドブック:当時バックパッカーが参照していたガイドブックは「地球の歩き方」。英語のできる強者はロンリープラネット。英語が苦手なボクはもちろん和製ガイドブック、「地球の歩き方」。
今でこそかなり精度はあがってこれ一冊あればちょっとしたバックパッカー旅行なら事足りる。昔は本当に精度も信憑性も低く旅人は「地球の迷い方」と言っていた。あるはずのところに宿がない。何年も前に潰れている。行き方が全く違ったり、目当ての路線すら存在しなかったり。
旅行者からの投稿を情報源として採用していたからなのか、かなり眉唾物の記載が多かった。

②人づて:人から直接聞く情報と旅のノートブックから得る情報。
人から聞く情報はゲストハウスやカフェ、バーなどではなく旅行者から直接これから行く場所の行き方や宿の情報、どこが面白かなど。
ゲストハウスは宿泊した客にショップカードを何枚も持たせこれを行く先々で配れとお願いしたものだ。
ゲストハウスのノートブックは部屋にノートがおいてあり何でも記入できた。そこにガセネタも含めいろんな情報を書き込んだ。今でいうところの掲示板だ。
そういえば、ラブホにもおなじようなノートが昔はよくあった。まぁ、レベル的には似たようなものだ。

インドの公共交通機関

バス

大都市間は鉄道で繋がれているが地方都市や少し辺鄙な都市に行く場合はバスにお世話になる。
ガイドブックには、バスの中でインド人から貰った食べ物には睡眠薬が混入されている場合があるので気を付けるべしとある。
「気づいたら荷物が全てなくなっていた」などの体験談が載っていたりするが幸運にもそういったケースはなかった。
たばこでも食物でも、あるものがないものに分けるという習慣なのだろうか、たばこを吸っているとせがまれ、逆に持っていないと分けて貰えた。
ガイドブックの注意を間に受けすぎると、善意で異国人をもてなそうとしている心優しいインド人に対しても「こいつ、もしや俺様の財布を狙っているのでは」と色メガネでみてしまう。怪しみ続けるのは精神的にきついものがある。
ならば、ここは運を天に任せるつもりで来るものは拒まずの精神でワンヤワンヤと楽しむ腹を決めたほうが良い。
「おい、若いの。これを食え」とバナナなど差し出される。
受け取ると、他から、
「これも食え」とサモサやらナッツやら、「これを吸ってみろ」とビディーやらを、方々からどんどん渡してくる。
かと思えば、すぐ隣でスードラの階級だろう小さな子が何人も、
「バクシーシ、バクシーシ」とせがんでくる。
カオスである。さすがにインドと何故か納得させられる。
これは鉄道も同じだ。

話を戻そう。
当時、ぼくが乗ったバス

  1. デリー~カシミール 所要時間34時間 バスタイプ:ノーマルタイプ
  2. ムンバイ~ゴア   所要時間18時間 バスタイプ:デラックススリーパータイプ
  3. パナジ~ハンピ   所要時間9時間  バスタイプ:ノーマルタイプ

他は大都市起点で数か所片道10時間くらいの場所に何か所か。すべてノーマルタイプ。

ワーストワンはダントツでデリー~カシミール間だ。
ノーマルタイプとあるがスクラップすべきレベルだ。

窓は閉まらないし座席は倒れないしシートからスプリングは出ているし前方のドアはないしで走っているのが不思議なくらい。
こんなバスに34時間も乗ったのには理由がある。
ツアーを斡旋しているゲストハウスに騙されたのだ。
後からわかったことだが支払った運賃はDeluxe料金。実際は2等廃車寸前のバス。差額をフトコロにしっかりと入れているという具合だ。
宿が一泊300バーツに対しノーマルとDeluxeの差額はおそらく1000バーツだ。

事の顛末はこんな具合い。

意気揚々、宿を出てバス発着場まで送ってもらう。
「あそこのバスだ。じゃーな!」と宿のインド人は足早に去っていく。
バスの入り口で車掌らしき男にチケットを見せると
「このバスじゃないぜ、お前のはあっちだ」。
指された方を見ると錆びだらけ、埃だらけの薄汚いバス。
天井にはいつ落ちてもおかしくないほどのたくさんの荷物が積まれている。

宿のインド人はとうにいないし、時間もないし乗らないわけにも行かず、
やむを得ず乗車。
どおりでゲストハウスで執拗にカシミール行きを進めた訳だ。
血気盛んな当時は「いつかぶっ殺したるー」と窓から叫んでしまった。
まだまだインドの楽しみ方を分かっていなかったのですね。

まあ、でも34時間もインド人に囲まれていると先に書いたようにいろいろ貰ったり、世話してくれたりと、お互いたどたどしい英語でコミュニケーションを取り、楽しい時間を過ごすことが出来た。
仲良くなった若いインド人には終着地のカシミールで自宅に招待されごちそうになったり。
帰国後に手紙もくれたっけなぁ。
これがDeluxeタイプだと西洋人のバックパッカーが多かったりしてもう少し様相が違う。
そういう意味ではバスのノーマルや汽車の3等はローカル感が凄まじく面白い。
体には相当きついが。

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